【画像】世志凡太の若い頃はバンドマン!1970年代にはフィンガー5のプロデューサー時代も!

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皆さん、昭和の芸能史を語るときに絶対に外せないキーパーソンがいます。

それこそが

ミュージシャン、コメディアン、俳優、演出家、そして伝説のプロデューサー……と、肩書きが多すぎて収まらない男、世志凡太さんです!

今でこそ「学園天国」のイメージが強すぎるかもしれませんが、実はそのずっと前、世志凡太さんはカッコいいジャズベーシストとしてステージに立っていたんです。

1957年にあの名門ビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」に加入し、渡辺プロダクション所属の本格派バンドマンとして活躍。

そして同時にテレビの世界にも飛び込み、「てなもんや三度笠」でコメディアンとしてもブレイク!

まさにマルチタレントの原点がそこにありました。

今回は、そんな世志凡太さんの“若い頃のバンドマン時代”から“フィンガー5を日本中に知らしめた1970年代”、

そして晩年の浅香光代さんとの暮らしまで、熱い軌跡をたっぷりお届けします!

どうぞ最後までお付き合いください!

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目次

【画像】世志凡太プロフィール!東京都立忍岡高校出身の現在の年齢91歳!

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E5%BF%97%E5%87%A1%E5%A4%AA

世志凡太プロフィール

本名:市橋 健司(いちはし けんじ)
生年月日:1934年1月4日(2025年現在91歳)
出身地:東京都台東区浅草
血液型:A型
学歴:東京都立忍岡高等学校卒
主な職業:ベーシスト・俳優・コメディアン・作詞家・演出家・音楽プロデューサー

世志凡太さん(本名・市橋健司)は1934年、浅草生まれの生粋の江戸っ子。

1957年に日本を代表するビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」にベーシストとして加入し、プロの音楽活動をスタート。

同時に渡辺プロダクションに所属し、ジャズミュージシャンとしてのキャリアを歩み始めます。

1960年代に入ると、朝日放送の人気番組「てなもんや三度笠」などに出演し、コメディアンとしても一気に注目を集め、

音楽と笑いの両方で才能を発揮し、早くから“マルチタレント”としての地位を確立しました。

まさに昭和から令和まで、芸能史の第一線を走り続けた“生きるレジェンド”です。

【画像】世志凡太はフィンガー5のプロデューサー!

画像引用元:https://www.universal-music.co.jp/finger5/products/uicz-6036/

1970年代前半、日本中に“フィンガー5旋風”を巻き起こした最大の立役者、それが世志凡太さんです。

当時、渡辺プロダクションに所属していた世志さんは、沖縄で活動していた玉元5兄弟(晃・光男・富夫・妙子・正男)を発掘。

「この子たちは絶対に売れる!」と確信し、自らプロデュースを担当します。

デビュー曲「個人授業」(1973年)を皮切りに、

「恋のダイヤル6700」
「学園天国」
「恋の大予言」

など、次々とミリオンセラーを連発!

特に「学園天国」は150万枚を超える大ヒットとなり、紅白歌合戦出場(1973年・1974年連続)も果たしました。

当時のアイドルブームの先頭を走り、キャンディーズや山口百恵さんらと並ぶ“昭和アイドルの原点”を作り上げたのは、まぎれもなく世志凡太さんの手腕でした。

ベーシスト出身でありながら、鋭い嗅覚と大胆な演出で一時代を築いた世志さんは、

今でも「フィンガー5=世志凡太」と語り継がれる、まさに伝説のプロデューサーです!

【画像】世志凡太と浅香光代はおしどり夫婦

画像引用元:https://www.youtube.com/watch?v=iVWe41gXiec

世志凡太さんと言えば浅香光代さんを思い出しますが、

1992年から約28年間、浅草の自宅兼事務所で共に暮らした、まさにおしどり夫婦でした。

正式な婚姻届は出さなかったものの、生活のすべてを共有、住所も電話も銀行口座も、事務所の看板も「浅香光代・世志凡太事務所」でした。

世志さんは「うちのカミさん」、光代さんは「うちの旦那」と呼び、周囲も当然のように「世志さん夫妻」と呼び、

・毎朝は光代さんが作る味噌汁で始まり、世志さんは「おいしいなあ」と欠かさず褒める。
・喧嘩をしても長くは続かず、すぐに世志さんが「悪かったよ」と頭を下げ、光代さんも笑って許す。

世志さんは「俺は光代の最後の男だ」と言い、光代さんは「この人がいなくなったら私も生きていられない」と語るほど、お互いを深く頼りにしていました。

買い物に行けば世志さんが光代さんの荷物を持ち、楽屋ではいつも隣に座って他愛ない話をし、

晩年は世志さんが体調を崩せば光代さんが看病し、光代さんが入院すれば世志さんが毎日病院に通う。

そんな姿を見て、芸能関係者も近所の人も「本当に仲がいい夫婦だね」と口々に言っていました。

籍はなくても、誰よりもしっかり結ばれていました。

浅草の小さな家で28年間、朝も夜も寄り添い続けた二人は、昭和から令和まで、誰もが認める本物のおしどり夫婦でした。

まとめ|【画像】世志凡太の若い頃はバンドマン!1970年代にはフィンガー5のプロデューサー時代も!

ということで

世志凡太さんについてまとめてみました。

ベーシストとしてステージに立ち、コメディアンとして笑いを届け、

プロデューサーとして「学園天国」を日本中に響かせ、

そして浅香光代さんと28年間、誰よりも温かい家庭を築いてきました。

91歳の今も浅草に住み、時折テレビで見せる歯に衣着せぬ江戸っ子トークは、

まるで昭和の空気をそのまま運んできてくれるようです。

音楽も笑いも、愛も仕事も、すべてを全力で楽しんできた人生。

世志凡太という男は、まさに「昭和の芸能史そのもの」を生きてきた、稀代のマルチタレントであり、

最後まで現役の、紛れもない“生きるレジェンド”です。

ご一読ありがとうございました。

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