中谷潤人は中学時代から強かった?東員第二中時代にU-15大会で連覇の王者!

スポンサーリンク

現在の世界3階級制覇王者、中谷潤人選手。

今や「ネクストモンスター」「ビッグバン」と呼ばれ、無敗の快進撃を続ける怪物級のボクサーですが…

中学時代はどうだったのでしょうか?

このブログでは、そんな中谷選手の謎多き中学ボクシング生活を、じっくり振り返ってみましょう。

中学時代から「強かった」のか、それとも後から急成長したのか?

答えは、意外なところで待っているかも…?

続きをお楽しみに!

スポンサーリンク
目次

中谷潤人は小学時代は極真空手!

画像引用元:https://www.youtube.com/watch?v=ceTb8Ed0yS0&t=5s

三重県東員町で育った中谷潤人選手(1998年生まれ)は、小学3年生(およそ8〜9歳頃)から極真空手を始めました。

きっかけは両親の願いと、実家が営んでいたお好み焼き屋「十兵衛」の常連客だった地元の極真空手の館長の勧め。


礼儀作法をしっかり身につけてほしい」という親心から、近所の道場に通い始めたそうです。

極真空手といえば、フルコンタクトの過酷な格闘空手。

顔面もボディもガチンコで直接打撃の応酬の世界です。

しかし、当時体が小さかった中谷選手にとって、それは想像以上の厳しさでした。

試合に出場しても連戦連敗、一度も勝てなかったという苦い経験が続きます。


殴られた瞬間は悪くなかったけど、手が痛い」

硬いところを殴ると皮がもっていかれる」

と、後年のインタビューで振り返るほど、痛みと挫折を味わった日々。

それでも、この時期に培われた精神力、打たれ強さ、根性が、後のボクシングでの無敵の強さに直結しているんです。

顔面パンチを恐れないタフネスや、相手を倒すための執念は、まさに極真空手で鍛えられたもの。

勝てなかったからこそ、「もっと強くなりたい」という燃えるような原動力が生まれたと言えます。

そして小学6年生(12歳頃)になると、テレビで見たボクシングの試合に心を奪われ、転向を決意します

中谷潤人は中学時代にボクシングを開始!東員第二中時代にU-15大会で連覇!

画像引用元:https://www.youtube.com/watch?v=ceTb8Ed0yS0&t=5s

三重県東員町で育った中谷潤人選手は、小学3年から極真空手を続けていましたが、体が小さく連戦連敗で勝てない悔しさを味わっていました。


そんな中、両親が営むお好み焼き屋「十兵衛」の常連客が

体重別のボクシングなら、小さくても戦えるよ

と勧めてくれたのが転機となります。


小学6年生の頃、テレビでボクシングの試合を見て衝撃を受け、「これだ!」と心を奪われたそうです。

そこで中谷少年は一人で最寄りのボクシングジムを探し、桑名市のKOZOジム(当時の会長:石井広三氏、元東洋太平洋スーパーバンタム級王者)に体験入門へ!


初訪問で待っていたのが、ガッチリした体格の石井会長。


「プロの技を見せたる!」とド迫力の左フックをサンドバッグに叩き込み、揺らしまくる姿に中谷は完全に心を鷲掴みにされました。

極真空手では味わえなかった「楽しさ」と「可能性」を感じ、「ここで強くなりたい!」と即決。

こうして中学1年生から正式に入門し、石井会長の熱血指導のもとで毎日猛練習に励む日々がスタートしました。

石井会長は中谷のセンスをすぐに見抜き、「チャンピオンになれるぞ」と励まし、サウスポースタンスへの転向も勧めたとか。


この出会いがなければ、今の世界3階級制覇王者は生まれなかった…

中谷選手自身も

会長に出会ってなかったら今何をしてたかわからない

と何度も語っています。


(残念ながら石井会長は中谷が中学3年の夏、34歳の若さで急逝してしまいますが、その短い時間で植え付けられた精神と技術が、後の連覇やプロでの成功の基盤になりました。)

ここから中学2年でU-15全国大会32.5kg級初優勝、中学3年で40kg級連覇という快挙へ一直線


地方の小さなジムから、世界へ飛び立つ天才の第一歩が、この入門の瞬間だったんです。

中谷潤人は東員第二中では帰宅部だった?

画像引用元:https://boxingnews.jp/news/73779/

三重県東員町立東員第二中学校に通っていた中谷潤人選手(中学1〜3年、2010〜2013年頃)は、部活動には入っていなかった典型的な「帰宅部」生徒でした。


野球部やサッカー部、バスケ部など、学校の正規部活には所属せず、学校生活自体は目立たない普通の中学生として過ごしていたようです。


クラスメートからは「体が小さくて大人しめ」「静かで真面目」くらいの印象だった可能性が高く、勉強や学校行事も普通にこなしつつ、内心では「世界チャンピオンになる」という燃えるような夢を秘めていました。

しかし、本当の「部活」は放課後から夜にかけて!

中学1年生から桑名市のKOZOジム(電車で約30分)へ毎日通い、石井広三会長の熱血指導のもとで猛練習。

練習後は実家のお好み焼き屋「十兵衛」に戻り、常連さんから「潤人、今日の練習どうだった?」と声をかけられながら夕食を食べ、

さらに自宅に作ってもらった練習室で自主トレを続ける…というハードなルーティン。

週末や夏休み・冬休みは大会出場や強化合宿で、さらにボクシング漬けの日々でした。

この頃、中谷は自宅の壁に「夢 フライ級世界チャンピオン」と書いた紙を貼り、毎日見て自分を鼓舞。


東員第二中時代の中谷選手は

・学校では「地味で普通の帰宅部中学生」
・放課後〜夜は「未来の世界王者候補」

という、すごいギャップの持ち主!

学校の友達よりジムの仲間や恩師の方が身近で、この「学校を普通にこなしながら、すべてをボクシングに捧げる」姿勢が、

中学2年でU-15全国32.5kg級初優勝、中3で40kg級連覇という快挙を生み、

15歳で単身アメリカへ飛び立つ決断力の源になったんです。

まとめ|中谷潤人は中学時代から強かった?東員第二中時代にU-15大会で連覇の王者!

ということで

中谷選手の中学時代についてまとめてみました。

中谷潤人選手は東員第二中学校時代にU-15全国大会を連覇した「王者」の片鱗を、中学という短い時期に爆発的に見せつけた天才児でした。

極真空手での挫折をバネにボクシングへ転向し、KOZOジム入門からわずか1〜2年で全国制覇。

学校では帰宅部として普通の中学生を装いつつ、放課後から夜まで猛練習に没頭する日々…

そのギャップが、まさに「ビッグバン」の原点だったんです!

今や世界3階級制覇(フライ級・スーパーフライ級・バンタム級)を達成し、無敗32連勝(24KO)の怪物に成長。

2025年末のスーパーバンタム級転向初戦でも苦戦しながら判定勝ちを収め、2026年5月の井上尚弥との日本人史上最大のビッグマッチへ向けて着々と前進中!


東員第二中の小さな少年が、極真空手の悔しさから始まった夢の軌跡は、まだまだ終わりません。

これからの中谷潤人選手に、世界最強へのさらなる爆発を…今後に超期待です!!

ご一読ありがとうございました。

✔中谷選手の結婚についてはこちらからどうぞ。

✔中谷選手の年収についてはこちらからどうぞ。

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次