みなさん、覚えていますか?
2004年3月26日、金曜日の夜10時。
テレビ朝日のスタジオで、久米宏さんが冷蔵庫からキンキンに冷えた一杯を取り出し、一気に飲み干しながらこう言いました。
「じゃ、乾杯。本当にお別れです。さようなら!」
あの瞬間、日本中の視聴者が息を呑んだのではないでしょうか。
18年半にわたって続いた伝説のニュース番組「ニュースステーション」が、突然の幕を閉じた日です。
視聴率は最後まで高く、番組は「革命児」と呼ばれ、久米さんの歯に衣着せぬコメントは多くの人を魅了しました。
それなのに、なぜ急に終わったのか?
「久米さんがクビになった」「政治圧力で降ろされた」「テレビ朝日と揉めた」など、ネット上では今でもさまざまな噂が飛び交っています。
特に「政権批判が過ぎて、忖度で終わらされた」という話は根強く残っています。
でも、本当のところはどうだったのか。
久米宏さん自身が後年語った本音、著書やインタビュー、そして当時の報道を振り返ると、そこには意外とシンプルで、でも久米さんらしい「潔い」理由が見えてきます。
政治圧力は本当にあったのか?
それとも、すべては久米さん自身の選択だったのか?
この記事では、事実ベースで紐解いていきます。
久米さんが最後の一杯を飲んだあの夜の真相に、改めて迫ってみましょう。
久米宏のニュースステーションとは?1985年10月7日開始で最終日は2004年3月26日

1985年10月7日、テレビ朝日系列でスタートした平日夜10時からの大型報道番組「ニュースステーション」(通称:Nステ)。
18年半にわたり放送され、2004年3月26日に終了した伝説の番組です。
番組の最大の特徴は「中学生でもわかるニュース」というコンセプト。
それまでのニュース番組は「原稿を読み上げる」スタイルが主流でしたが、
Nステは:
・久米さんの歯に衣着せぬコメントとユーモア
・ブーメラン型の机でキャスター・コメンテーターが顔を見合わせて会話
・芸能・スポーツ・社会問題を織り交ぜたバラエティ要素
・視聴者目線のわかりやすい解説
これらを武器に、硬派な報道番組のイメージを覆し、幅広い世代から支持を集めました。
最高視聴率は20%を超え、最後まで高視聴率を維持。
政治家への鋭い質問や、時には「失言」とも言われた発言で賛否両論を呼びながらも、「テレビ報道の革命児」と称される存在になりました。
久米さんはTBS時代に「ザ・ベストテン」で人気を博した後、この番組で報道の世界に本格参入。
「ニュースは民放の重要な柱だ」と証明し、報道番組を「見たくなるエンターテイメント」に変えた功績は、今の報道番組の基盤にもつながっています。
でも、そんな人気番組がなぜ突然終わったのか?
「政治圧力で降ろされた」という噂が今も根強い中、本当の理由は何だったのでしょうか?
久米宏のニュースステーション降板理由は?やめた理由は政治圧力?

ネット上では今も「政治圧力で降ろされた」「小泉政権の批判が原因」「テレビ朝日が忖度した」といった噂が根強く残っています。
特に、久米さんが自叙伝(2017年刊「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった」)で
Nステ時代に度々圧力を受けた
と明かしたことが、こうした噂を助長した側面もあります。
しかし、降板の直接的原因が政治圧力だったという証拠は一切ありません。
・久米さん本人は著書やインタビューで、「契約更新を自分から断った」と繰り返し語っています。2年ごとの契約が1999年で切れるタイミングを逃し、「20世紀の終わりというきりのいいところで区切りをつけた」と説明。
・テレビ朝日側は引き留めを強く行いましたが、久米さんが頑なに拒否。局との大きな対立やスキャンダルはなく、最終回まで視聴率は高く保たれていました。
・政治圧力説の多くは、久米さんが小泉政権時代などに歯に衣着せぬコメントを繰り返したことが「原因」と結びつけられた憶測です。でも、本人も「どんな政権であろうが、それにおもねるメディアは消えていくべきだ」と記しており、圧力に屈して辞めたわけではないことがわかります。
つまり、「政治圧力で降ろされた」はほぼデマ。
「つらくて、ちょっとだけ嫌な仕事になりかけていた」「続けなければならない義務感に変わっていった」など、
後年の本音からも、長年のプレッシャーが積もった末の自主卒業だったことがうかがえます。
政治圧力は「あった」としても、それが降板の決定打ではなかった――
これが事実ベースの結論です。
久米さんらしい、権力に媚びないままの終わり方だったと思います。
久米宏のニュースステーションの最終回は59歳

2004年3月26日、金曜日の夜10時。「ニュースステーション」(Nステ)の最終回が放送されました。
当時59歳(還暦を目前にした)の久米宏さんが、スタジオでこう語りかけました。
18年半やりましたよ、あなた。
小学校の通信簿で「持続性がない」「飽きっぽい」と書かれ続けた自分を振り返りながら、皮肉を込めて笑う久米さん。
そして、最後のご褒美として冷蔵庫からキンキンに冷えた一杯を取り出し、一気に飲み干しながら――
じゃ、乾杯。本当にお別れです。さようなら!
手を振って去っていく姿に、日本中が息を呑みました。
他局のニュースでも取り上げられ、筑紫哲也さんの「NEWS23」ですら賛辞が送られるほどの衝撃。
視聴率は最後まで高く保たれていたのに、なぜこんなに潔く終わったのか?
59歳という年齢は、久米さんにとって「もう十分やった」という区切りの象徴でした。
生年月日が1944年7月14日なので、2004年3月時点では誕生日前の59歳。
まさに「60歳目前」で、18年半の激務に自らピリオドを打った瞬間です。
この最終回は、今でも伝説のシーンとして語り継がれていますが、本質は久米さん自身の強い意志。
政治圧力やクビではなく、「つらくて嫌になりかけていた」仕事に、自主的にさよならを告げた――
それが59歳の久米宏でした。
まとめ|久米宏のニュースステーション降板理由は?政治圧力で降ろされたのはデマ?
ということで
久米宏さんのニュースステーション降板理由についてまとめてみました。
2004年3月26日、59歳の久米宏さんは「ニュースステーション」を18年半で自ら終わらせました。
政治圧力やクビという噂はデマに近く、本当の理由は「もう十分やった」という本人の強い意志。
激務の疲れと「若い人に譲るべき」という思いが重なり、自主的に区切りをつけたのです。
最終回でキンキンに冷えた一杯を一気に飲み干し、「じゃ、乾杯。本当にお別れです。さようなら!」と手を振って去った姿は、今も伝説です。
「民放は脆弱で弱くて危険だけど、大好き」と語った言葉通り、権力に媚びず、自分の言葉でニュースを届けた久米さん。
その反骨精神とユーモアは、日本の報道番組に大きな足跡を残しました。
久米宏さん、本当にありがとうございました。
あの夜の「さようなら」は、決して終わりではなく、新しい始まりの合図だったのかもしれません。
ご一読ありがとうございました。
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