世界を驚かせる超回転を連発し、「スピンマスター」「世界一回る男」と呼ばれる荻原大翔選手。
そんな萩原選手の驚異的な技術とメンタルの強さは、一体どこから生まれたのか?
実はその答えの多くが、大翔選手のすぐそばにいる、ある一人の男性に隠されていると言われています。
彼の名前は荻原崇之さん。
大翔選手のお父さんです。
「親子二人三脚で世界を目指す」なんて言葉はよく聞きますが、荻原家の場合、本当に文字通りの二人三脚だったらしいのです。
茨城の自宅から雪のない街で、どうやってあの回転が生まれたのか。
「お父さんが大好き」と笑顔で語る大翔選手の言葉の裏側には、どんな父親像が隠れているのでしょうか?
一緒に、少しずつその謎を紐解いていきましょう。
荻原大翔プロフィール!身長162㎝で現在の年齢20歳!

荻原大翔プロフィール
生年月日:2005年7月19日(20歳)
出身地:茨城県牛久市
身長:約160〜162cm(小柄ながら驚異的な回転力)
スタンス:Regular
競技:スノーボード
主な種目:ビッグエア(Big Air)、スロープスタイル(Slopestyle)
所属:TOKIOインカラミ スノーボード部
スポンサー:Red Bull、Burton、Oakley、星野リゾート ネコマ マウンテン など
愛称:スピンマスター、世界一回る男
ランク:S(日本スキー連盟)
雪のない関東平野で育った荻原選手がスノーボードを始めたのはわずか3歳の頃です。
両親がスノーボード好きだった影響で、自然とボードに触れる機会が増え、幼い頃から家族で雪山に通う生活が始まりました。
特に父親が大きな役割を果たし、毎週末に車で長距離を移動しながら練習に付き合い、自宅の庭に人工芝の練習場まで作って回転技の基礎を磨かせたと言われています。
9歳の頃にはすでにバックサイド1080(3回転)を成功させ、その映像がネット上で大きな話題となりました。
この頃から「世界最年少記録」として注目を集め始め、本格的に競技者としての道を歩み出します。
12歳でプロ資格を取得し、中学生ながら全日本選手権などの舞台に立つようになりました。
2021年、16歳の時に全日本選手権ビッグエアで初優勝を飾り、同年のWorld Rookie Finals(スロープスタイル)でも優勝するなど、ジュニア世代で頭角を現します。
翌2022年には全日本選手権のビッグエアとスロープスタイルの両方で連覇を達成し、さらには世界初となるバックサイドクイントコーク2160(縦5回転+横6回転)を成功させて世界を驚かせました。
2023年からはワールドカップにも本格参戦し、スイス・クール大会のビッグエアでワールドカップ初優勝を記録。
2025年にはアメリカ・アスペンで開催されたX GAMESのビッグエアに初出場しながら、いきなり優勝を果たします。
この大会で荻原選手は世界初のバックサイド2340(横6回転半・メロングリップ)を成功させ、金メダルを獲得。
「世界一回る男」「スピンマスター」という異名が一気に定着しました。
2025-2026シーズンも好調を維持し、ワールドカップのビッグエアで複数回の優勝を重ねています。
現在20歳となった荻原大翔選手は、2026年ミラノ・コルティナ冬季オリンピックのスノーボード男子ビッグエアおよびスロープスタイルの日本代表に選出されており、五輪での金メダル獲得が大きく期待されています。
小柄な体格ながら驚異的な回転速度と回転数を武器に、次々と「世界初」の大技を完成させてきた萩原選手は、これからもスノーボード界の歴史を塗り替え続ける存在として、世界中から注目を集め続けています。
荻原大翔の父親は元スノーボーダー?仕事は自営業で年齢53歳の大会出場経験者?

名前が公に出る機会は少ないですが、大翔選手の周囲では「なくてはならない存在」としてよく語られています。
スノーボードを始めたのは17歳の頃からで、キャリアは35年以上になるベテランアマチュアです。
本人は「底辺の競技者」「全然上手くない」と笑って話していますが、実際に大会に出場した経験はあるようです。
特に若い頃はハーフパイプにも挑戦していた時期があったとされています。
ただし「元プロスノーボーダー」や「元競技選手」というほどの経歴ではなく、あくまで趣味として長年滑り続けてきた愛好家というのが実情に近いようです。
ただ、大翔選手が小学生〜高校生の頃に毎週末・長距離の雪山送迎を続けたり、遠征に帯同したり、練習動画の撮影・分析をしたりと、時間の融通が非常に利く働き方をしているのは確かです。
そのため「自営業かフリーランス、もしくはかなり柔軟な会社員」という推測がネット上で多く見られますが、真相は家族以外には明かされていません。
荻原大翔の6回転半を成功させた父親のサポートとは?

荻原大翔選手が2025年のX GAMESで世界中に衝撃を与えたバックサイド2340(横6回転半・メロングリップ)は、スノーボード史上に残る偉業となりましたが、
この常識外れの大技が生まれた背景には、父親・荻原崇之さんの20年以上にわたる一貫したサポートがありました。
崇之さんは大翔選手が3歳の頃から「自分が滑りたいから」というシンプルな動機で一緒に雪山へ通い始め、やらされるのではなく「一緒に楽しむ」ことを何よりも大切にしてきました。
自宅の庭に人工芝の練習場を自ら作り、トランポリンやマットを使って回転の感覚を何度も反復練習させたのも父親のアイデアです。
雪のない茨城県から福島のスキー場まで片道3時間以上かかる距離を、ほぼ毎週末往復し、時には車中泊をしながら遠征にも帯同。
練習風景の撮影から映像分析まで、ほぼ一人でこなしてきました。
驚くべきことに、大翔選手はプロのコーチを付けず、基本的に父親との二人三脚でここまで来ており、技術だけでなく「失敗しても挑戦し続けよう」というメンタル面の支えも崇之さんが担ってきました。
大翔選手自身がインタビューで何度も「お父さんが大好き」「親と一緒にやった方が成長しやすい」と語るように、この深い信頼関係が、6回転半という前人未到の領域に飛び込む勇気を生み出したのです。
崇之さんは自分を「底辺のアマチュア」と笑って話しますが、息子の夢を本気で信じ、時間と情熱を惜しみなく注ぎ続けたその姿勢こそが、世界初の6回転半を現実にした最大の原動力だったと言えるでしょう。
まとめ|荻原大翔の父親は元スノーボーダー?仕事は自営業で年齢53歳の大会出場経験者?
ということで
荻原大翔選手の父親についてまとめてみました。
荻原大翔選手の驚異的な回転技と、世界初の6回転半は、
父親・崇之さんとの長い二人三脚があってこそ生まれた奇跡です。
雪のない茨城から始まった父子の物語は、今、最大の舞台へと続いています。
ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックで、あの圧倒的な回転が、五輪の空を切り裂く瞬間を、世界中のファンが心から待ち望んでいます。
皆さん一緒に応援しましょう!
ご一読ありがとうございました。


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